1963年生まれ。台湾・台中市の出身。日本人の父、台湾人の母に育てられ、日台双方にルーツを持つ。東京工学院専門学校を卒業後、日本国内で医療、金融などの基幹システム構築に従事。その後、台三を設立。企業のデジタル化やペーパーレス技術の導入を推進する傍ら、日本統治時代の台湾で活躍した人物に光を当てたドキュメンタリー映画の撮影を支援するなど、日台の文化面での交流に尽力している。

林さんが撮影をサポートしているのは、宮崎県出身の美術家小松孝英さんが監督を務めるドキュメンタリー映画だ。2021年に公開された第1作目の「塩月桃甫(しおつき・とうほ)」の製作から協力している。

作品名にもなっている塩月桃甫は、日本統治時代の台湾に西洋美術を広めた宮崎県出身の画家。日本統治時代に台湾美術展覧会を創設するなど、台湾の美術界に貢献した。映画はその生涯に迫る内容となっている。

アートフェアに出品するため台湾をたびたび訪れていた小松さんは2017年ごろに同郷の画家である塩月の存在を知り、ドキュメンタリー映画の製作を決意。そこで協力を求めたのが、数年前に台湾のアートフェアで知り合い、交流のあった林さんだった。

映画製作に協力

林さんは小松さんから映画製作への支援を求められ、「もちろん」と快諾。資金面で製作を支え、台湾での取材や撮影に当たっては相手先との調整や通訳なども引き受けた。林さんは映画製作を支える思いをこう語る。

「日本は100年前、インフラ整備など台湾のために多くのことを行った。こうした歴史を日本と台湾の若者はあまり知らないかもしれないが、ドキュメンタリー映画を撮影して記録が残れば伝えていくことができる」

林さんは、宮崎市出身の小説家で、台湾で塩月桃甫らに学んだ中村地平を取り上げた第2作目のドキュメンタリー映画「中村地平」(2024年公開)の撮影にも協力。現在は日本統治時代の台湾で活躍した建築家、井手薫のドキュメンタリー映画の製作が進行中で、井手が設計した台北公会堂(現在の中山堂)での撮影に当たっては林さんが許可の取得に協力した。

小松さんによると、林さんは「現地取材先との関係作りに欠かせない人」。塩月桃甫の取材で台湾先住民族タイヤル族の博物館を訪れた時、林さんは先住民族と一緒に踊り、その場の雰囲気を和ませた。

「林さんは日本と台湾をつなぎ、関わる人の心を柔らかくしてくれる」。小松さんはそう感謝する。

台湾をPR

林さんは日本で台湾を紹介する活動にも取り組んでいる。今年5月のゴールデンウイークに合わせて、台湾の芸術作品や食品などを集めたフェアを東京都港区の商業施設「Aо(アオ)」で開いた。現代アーティスト洪易さんによる動物をモチーフにしたカラフルなオブジェを展示したほか、パイナップルケーキや豆乳、茶といった台湾の食品を販売した。

「台湾の日常生活を日本の人たちに知ってほしいと考えた。来場者に展示内容の紹介も行い、大成功だった」と林さんは手応えを語る。好評だったことから、10月18日~11月3日の日程で同商業施設で再びフェアを開いている。

林さんが日本と台湾の交流に尽力する根底には、自身のルーツとこれまでの人生がある。父親は北海道出身で、日本の大手電機メーカーに勤めていた。「日本人のお父さんに育ててもらい、恩がある」。専門学校を卒業した後は日本で働き、日本の友人ができた。「恩を返すのは当然」と話す。

林さんは交流を続けていくことで、日本と台湾の関係がより良くなることを願っている。「日本と台湾の若者がお互いの歴史をもっと知り、それぞれを好きになってほしい」。そう力強く語った。

NNA JP 編集局編集統括部・安田祐二 https://www.nna.jp/news/2850178